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新・南天通信

2008.1.12

「なら研」

くらし支え合い活動の仕掛け人であるKさんから電話があった。「み ぞやん、今度の連続講座のチラシ、予告でええから明日朝までに作ってんか」と相変わらず急な話であった。「まだ“なら研”の最中やから、明日朝までは厳し いなあ」と返事をしたら「なんや奈良県にいんのかいな、この前言うてた交流会か?」と頓珍漢な言葉が返ってきた。“なら研”のことはちゃんと知ってるはず なのに?酒でも飲んでいたのかいな?そういえばにぎやかな電話先だったなあ。

 

共生舎なんてんのスタッフとして働き始めたけい子さんをモデルに、2001年から始まった「知的障害者介護技能等習得事業」が7年を経過した。この事業は、 いわゆる知的障碍のある人に3級ヘルパーの資格を取ってもらい、宅老所や小規模デイサーサビスなどで働いてもらおうという事業である。これまでの受講数は 104名で、そのうちの28名が宅老所等のいわゆる介護の場で働いておられる。

 

ところがここにきてその3級ヘルパーの存在が危うくなってきた。国が介護サービスの質を上げるためにと、1,2、3級のヘルパー制度をなくし、一定の移行期間を設けて、介護福祉士に一本化するというものである。

現在のヘルパー資格者は、かなり長時間の追加講習や実習を受けて漸次介護福祉士に移行するということらしいが、いま働いている知的障碍のある人たちにとってはかなり厳しいものと予想される。

 

ならばそれに代わる認定制度があればいいではないか、という話になった。いきなり国の制度では無理だから、先ずは滋賀県で試行できないかとして始まったのが「知的障害者の介護施設等における就労支援のあり方研究事業」である。

ただ、これではあまりに長い事業名なので、何かいい略称がないかという話の中で付いたのが“なら研”である。その“なら”とは、知的障碍のあるスタッフならではの働きという意味であった。

 

宅老所やデイサービスに通って来られるおとしよりの殆どは認知症という病気を抱えておられる。今やったことや言ったことが記憶できなかったり、自分の家やトイレの記憶がなくなったり、昼と夜の状況記憶が交錯したりなどの症状が出て、自宅での介護が困難になることが多い。

例えば「おはようございます。スタッフの溝口です。よろしくお願いします。」とあいさつをした直後「あんた誰さんやったかいな?」といったことが起きる。  ところがけい子さん始め県内で働いている知的障碍のあるスタッフの殆どの人は、その名前を覚えもらっている。目の前にいなくても「今日はけいちゃんはど うしたんや?風邪なんか、うーん、大丈夫かなあ。」とその姿まで思い浮かべて話される。

 

認知症のためどんどん脳細胞が消えているはずなのに、不思議でならない。まるで彼女らのためにとっておきの脳細胞が用意されているようである。  3級ヘルパーになるために病気や障碍の勉強をしたり、介護の実習等をしてきても、彼ら彼女らの殆どは"人間"を失わない。

認知症の病気を抱えたおとしよりを"ケア"の対象者としては見ないし、向き合わないし、そうは対応しない。あくまでも"人"として向き合い、"生活者"として付き合う。だから関係は、自然で、普通なのである。

つまり、その生活の中のありのままで付き合う。スタッフを家の嫁さんと間違ってるおとしよりには「家の人と違うで。」と言うし、バナナを皮ぐち食べようとされるおとしよりに「ああアカン、これは食べられへんで。」と言う。よだれが出ると「ああ汚いわ。」と言って拭いてあげる。

その自然な、普通の付き合い中から、安心感や信頼感が生まれるのであろう。

知的障碍のあるスタッフと一緒におられると、殆どのおとしよりの表情に変化が生まれる。"生活者"としての感情のある顔が見られる。 さらにふだんあまり言葉のないおとしよりが声を出される。車イスのおとしよりに靴を履かす彼女に「けいちゃん、ありがとう。おおきに、おおきに」と実ににこやかに言葉を掛けられる。

こういった関係は、一度専門家の仲間入りをした、いわゆる障碍のないスタッフにはなかなか出来ない。病気や障碍がどうしても頭から離れず、やっぱりケアやお世話の対象者として見てしまう。じゃあと"人"として見なければという研修を受けると、ますますぎこちなくなってしまう。"人"や"生活"感が薄れ、どうしても業務の色合いを払拭出来ない。

 

こんなことからいくと、やっぱり知的障碍のあるスタッフ"なら"ではということは間違いないなあというところまで来た。

ところがここに来て、異議ありの声が出てきた。"ならでは"に知的障碍という冠を付けてしまうのはどうか?という意見である。 受講の全員がスタッフになった訳でもないし、また一度介護の場で働き始めて辞めた人もいる。逆に、殆ど稀ではあるが、障碍のない人の中にも同じように"人間"スタッフがいるではないか、といった意見である。 さてさて中盤まできたこの研究事業がどうまとまるのか、この事業の代表を務める私でさえ大いに興味深いところである。

 

 

 

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