2010.5.26
その際、私はスタッフに「車いすに座れるおとしよりには、出来る限り普通の椅子に座ってもらってね」とお願いをしている。年をとって認知症や障碍(しょうがい)を抱えるようになっても、なるべくみんなと同じ生活スタイルで暮らしてもらいたいと考えるからである。
この写真からも分かるように、普通の椅子に座ってもらえれば、地域のおとしよりなのか事業所利用のおとしよりなのかは分からない。これが8人全員車いすに乗って、横並びで見物されるとなると、ああ事業所利用の人が見物に来ておられるとなる。
介護保険上ではたしかに地域密着型サービスに位置づけられてはいるが、地域との一体感や生活感は薄いものとなってしまう。せっかくの祭り見物も、そしておとしよりの存在も、地域生活からかけ離れた特別なものとなってしまう恐れがある。
もちろん、姿勢を保つためのリクライニング式車いす等しか利用出来ない方もおられる。しかし一般型の車いすに座れる方は、肘掛け付きであれば殆どの方は普通の椅子で座っていただける。
"認知症や障碍を抱えるようになっても いつまでも住み慣れた街や村で みんなと一緒に 助け合って 自分らしく暮らし続ける"ための支援、つまり"普通に"暮らし続けることの支援のポイントは、日常のこんな小さな生活場面をいかに大事にしていくかという所にある。
ところが生活場面は小さくても、その支援には"普通に暮らす"という意識はむろんのこと、結構な手間とエネルギーも必要になってくる。事前に椅子を運ぶ、車いすから椅子に移ってもらう、立ち上がられた時に支える、終わったらまた車いすに移ってもらう。車いすで来て、車いす帰るに比べれば相当な労力と神経が必要である。そして、当然スタッフの手数も余分に掛かる。
29年前私が「施設」を辞めて「なんてん共働サービス」を始めた時のおもいは、障碍のある人たちと一緒に"地域の中で 普通に働き 普通に暮らす"ということであった。
たかだか椅子か車いすの話、そんな些細なことどっちでもいいじゃないかとの声も聞こえてくる。しかし私は小さな話であるからこそ、ていねいに考えて、しっかりと取り組む必要があると考えている。おとしよりや障碍のある人たちの"普通の暮らし"を普通に支えるという視点は、常に振り返っていくようにしたいものである。