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 home > 広報 > タイ王国からの便り > 2007/10/31

タイ王国からの便り

2006年6月から2008年7月まで国際協力機構(JICA)の青年海外協力隊員としてタイで活動している佐藤綾子さんからのリポートです。


2007年9月17日

先月、錦織さん、錦織さんのお友達の服部さんと上田さん達がタイへ遊びにきてくれました。私は一年タイで暮らしているのでそれほど暑いと感じませんが、みなさん日本から来ているからか、やはり暑いと感じるようでした。

服部さんが車椅子を使用しているのでバリアフリールームがあるシャングリラホテルを利用されていました。 バリアフリーとはいえ、洗面所へ入る扉の幅が狭い、洗面台の高さは車椅子が入る十分な高さがない、シャワーが固定されたまま取り外しができないタイプのもの、などなど、もうちょっとがんばってほしいなという感じでした。

しかし、私の任地、障害児のためのプラチンブリ県特別教育センターでも、建物の中に車椅子対応のトイレを設置しているのですが、建物に上がるためには10センチ以上の段差を乗り越えなくてはならない、というよくわからない構造をしているので、考えているようでなかなか確かなものにならないことが、どこにでもあるんだな・・・とバリアフリールームをみて思いました。

 

金曜日の夕方にタイ国際空港に到着し、その日はホテルでタイ料理を食べました。トムヤムクンという日本でも有名になりつつある、甘くて辛くて酸っぱいスープや、トムカーガイというココナッツミルクを使ったスープ、ソムタムというパパイヤサラダなど、タイ料理の代表株を選びました。普段田舎で生活しているとびっくりするような値段のシャングリラの料理。その分、味もスタッフのサービスも何もかも一流なのですが、シンハビールというタイビールの小瓶、そこらへんのお店で一本35バーツ(×3.5が日本円)で売られているのですが、シャングリラホテルでいただくと一本200バーツに跳ね上がるのです。

もっと驚いたのはプラチンブリのお店で一つ6バーツで買えるココナッツ丸ごと一個が、シャングリラホテルでいただくと一つ200バーツ!味は同じなのに!でも錦織さんは「なんだか今まで飲んだココナッツジュースの中で一番おいしいような気がする」といっていました。だまされちゃ駄目ですよ!

土曜日はバンコクから車で2時間ほど離れた私の任地プラチンブリへきてくれました。プラチンブリへ来る前に、お隣のナコンナヨ県でパッタイというタイの焼きそばで有名なお店で昼ごはん。このお店は私がプラチンブリへきた当初、センターの人につれて来てもらったことのある懐かしいお店。センターのスタッフ2名もきて一緒にパッタイタイム。タイでは食べきれないほど料理をならべるのがもてなしなので、大量の料理が並べられました。上田さん食が細くて残念。センターの方は服部さんがどういう仕事をされているのか興味をもっていました。 「タイだったら服部さんは家にいるしかない(基本的生活習慣が一人でできないと学校や職業訓練校に入ることができない)のに彼はすごいね」と感心していました。

写真は食事の様子です。

昼食後は王様が国民のためを思って考案されたダムや自然公園などをみて、特別教育センターを見学して、夕方バンコクへ戻り、タイの代表スポーツ、ムエタイを見に行きました。小学生なのか?と思うような小さな選手に始まり、回を重ねるごとに体格も技もランクが段々上っていき、鼻血を出す選手も・・・。

日曜日はバンコクからまた離れて、アフタヤ世界遺産めぐりをしました。アユタヤには何度も来ていますが、何度きても歴史を感じます。日本で歴史のある物をみても、ただ古いものなんだ・・・としか思っていませんでしたが、タイへきて、自然も文化も異なり、敬虔な仏教徒に触れる機会が多かったことで情緒も変わってきたのでしょうか。今度日本に帰って歴史ある物や自然をみたら、以前とは変わった感性でみることができるのではないかと思います。

 

次の写真の真ん中に仏頭があるのが見えますか?昔ミャンマー軍が攻めてきたときに、多数の仏像の頭を切り落として行きました。切り落とされ地面に転がっていた仏頭に木の根が自然に絡まってできたものだそうです。写真を撮るとき、仏頭より自分の頭が高くならないようにするために座るよう、ガイドさんより指示がありました(タイでは仏像や王様の写真を飾るとき、人の頭よりも高くなるようにします)。

10年前アユタヤへきたときにはこの仏像の前に、立ち入り禁止の策や、日本語で書かれた旅行者のマナーに関する注意書き(仏頭に乗るな、など)はありませんでした。英語の注意書きとともに日本語でも書かれているのをみて、日本人として少々恥ずかしい思いをしました。

次の写真は錦織さんと服部さんがお寺の前で鳥を逃がすという「たんぶん」をしているところです。かごを少しあけただけでものすごい勢いで小鳥が逃げてしまうという一瞬の出来事でした。「たんぶん」とは良いことをして徳をつむこと。この場合は捕らわれている鳥を逃がしてあげるというたんぶん。タイ人はたんぶんが大好きです。このお寺はよく願い事がかなうそうです。みなさん何をお願いしたのでしょうか・・・。

任国外旅行カンボジア編

みなさんこんにちわ、先月任国外旅行へいってきました。カンボジアとベトナムです。

カンボジアではカンボジアで活動中の職種;体育隊員に案内をしてもらいました。カンボジアへいってから知ったことですが、タイの文化はカンボジアからきているそうです。そのため食事や文字、踊り、売られているものがよく似ていました。食事はタイのように辛くはなく、薄味のタイ料理というような感じでした。また言葉はカンボジア語はわかりませんが、タイ語を勉強している方も多いようでタイ語が通じることがたびたびありました。

カンボジアは内戦が終わってまだ月日が経っておらず、また内戦時代に多くの知識層が亡くなったため、日本を始め数多くの国が支援していることはみなさんご存知のことだとおもいます。

これはとてもすばらしいことなのですが、カンボジア隊員は「カンボジアは援助に対する期待が大きすぎるのではないか・・・」という、日々の活動から感じる気持ちをもらしていました。そういわれると、国際協力というのは難しいものなのだなぁと感じました。

時々会う、各国の隊員から、その国のことをよく聞きます。日本にいる時にテレビや本で見たり聞いたりしていたときは、遠い国のことのように、ある意味実感なく感じていましたが、タイにきてから実際にその国にいる人を通じて聞くと、世界ではいろんなことが起きているのだなぁとしみじみ感じるようになりました。

 

さて、カンボジアではアンコールワットへいってきました。 アンコールワットはものすごく簡単に言えば、昔の王様が自分は仏陀の化身だとし、そして仏陀がいた世界を地上に再現しようとして作られたものだそうです。長い内戦のため、世界の人の目にさらされるようになって間もないアンコールワット。たくさんの観光客がいました。 一枚目の写真はよく見かけるアングルの写真です。緑色の垂れ幕みたいなのは修復工事をしているところです。

 

このアンコールワットの高い塔を上るための階段が二枚目の写真です。ものすごく急な階段です。昔の王様も登ったはずなのに「なんでこんなに急なのですか?」とガイドさんに聞くと「仏陀の世界には簡単にいけません」と答えてくれました。

三枚目の写真は、ちょっと恥ずかしいのですが、私も登ろうとし、でも10段くらい登ってからやはり怖くなり、諦めて降りようとしているところです。先に登った友達が写してくれました。

 

四枚目の写真はアンコールトムといわれている遺跡の一部分の修復工事に日本が援助していることを表している看板です。色々な国の看板を見かけました。この看板の左上の国旗がカンボジアの国旗で真ん中にはアンコールワットが描かれています。

アンコールワットのほかには地雷博物館(写真一)、KillingFierd(虐殺された場所)、一ノ瀬泰三の墓、そしてアプサラダンス(写真二)というカンボジアの伝統舞踊をみました。

一ノ瀬泰三さんはご存知の方も多いかと思われますが、今の私より若いカメラマンが内戦時代にアンコールワットの写真をとるためにカンボジアに滞在し、結局は殺されてしまったという方で、私もこの方の本を読みました。一ノ瀬さんのお母さんが息子に宛てた手紙がとても切なく、苦しい悲しい思いをされたのだろうな・・・というのが印象に残っています。

三枚目の写真はカンボジアの民家です。タイの民家とよくにていますが、タイは木で、カンボジアは藁のようなもので作られています。

任国外旅行ベトナム編

3日間カンボジアで過ごし、次の3日間はベトナムで過ごしました。ベトナムでは首都ハノイに滞在しました。 四枚目はベトナムの水上人形劇に行ったときの写真です。昔、ベトナム北部は稲作中心の土地で、その中で子どもに遊んであげる遊びとして、水の中で操る人形遊びができたそうです。

ベトナムの写真はこれだけにします。アンコールワットと同じく世界遺産の、ハロン湾というところにもいきましたが、これからみなさんがベトナムのハロン湾へいくこともあるかもしれませんので、あまり写真をお見せするとよくないかなと思います^^というのと、ベトナムではあまりいい思い出がないのです。

ベトナム人はお金にシビア、とくに北部の人はシビアだと聞いていたのですが・・・。物価の相場をまだ知らないときにフランスパン(フランスの支配下にあったベトナムではフランスパンがおいしい!)を現地の人の20倍の値段で買わされ・・・、今度は騙されないぞ!と思って、フルーツを買うときにベトナム人のおばちゃんが買ったのと同じフルーツを、同じ値段を渡して買おうとしたら、外国人は別だと10倍の値段を言われ、文句を言うまでもなく「いらないならあっち行けー!」と追い払われ・・・、あげくには一緒にいった友達がかるい熱中症で全身ヒクヒクしだしたので夜中に病院に運び・・・。

この時期ちょうど日本で熱中症で死者が続出しているときで、本当に怖い思いをしました。 私はこの後、日本にいる母から水分補給のための強い味方、ポカリスエットの粉を送ってもらいました。

 

任国外旅行で思ったこと。 その国の言葉をしゃべるというのは、とてもすばらしいことなんだなと実感しました。 赴任した当初はたどたどしいながらもタイ語を話すからセンターの人からもかわいがってもらえたし、今でも大事にされるし、また町で買い物しても喜んでもらえるんだなと思いました。

日本は秋の始まりで涼しくなっている頃でしょうか?でもまだ暑さが続くと思います。水分補給は本当にしてください!

 

みなさん、お元気ですか? いつのまにか、タイへきてから1年が過ぎ、早かったような短かったような。そして残りの任期も長いような短いような。

今日本は暑い時期ですね。タイはまた今は長い雨季のため毎日曇っていてそれほど暑くなく、果物が多くよい季節です。

久しぶりに写真を送ります。4月ころから最近までの写真です。

1枚目の写真は私が活動しているプラチンブリ県特別教育センターで、スタッフ対象に行った自閉症の勉強会の様子です。

2枚目はタイ東地区の学校やセンターで障害児を教えているけど、大学で障害児教育を学んでこなかったスタッフに対して行われた研修会が他センターであり、時間をもらって自閉症について喋っている様子です。

3枚目は職種が養護や作業療法士など、福祉系の協力隊員が福祉会を結成し、バンコク周辺の福祉施設を見学したときの様子です。車椅子工場や養護学校、バークレットホームといって王女様が力をいれて支援している孤児院を訪ねました。

4枚目の写真はそのバークレットホームの訓練室にはいったときに、スタッフで作業療法士のかたが、身体障害の子を訓練機器に乗せてみせてくれたときのものです。乗せ方がちょっと違っていました。またダンベルまで持たされて、タイの子どもは家にいても施設にいてもたくましく育つなと思った瞬間でした。このようにタイでは王室関係の支援や寄付などでかなり施設や器具などのハード面は揃います。ソフト面を補うのが協力隊の役割なんだなぁと最近よく思います。

 

5枚目の写真はJICAのシニアボランティアの方が活動しているスパンブリ県の特別教育センターを単独で任地訪問したときの写真です。ここの他に、職種とは関係ないですが、日本語教師の方の活動先へ任地訪問させてもらったり、義肢装具士として活動している方を訪問させてもらったりしていました。

 

 

タイの東北地方

先週いってきた小旅行の写真です。タイの東北地方を周ってきました。

タイの東北地方といえば、昔は貧困の代名詞のようなところだったそうです。

今では色々な支援が継続的に入っているようです。写真はカンボジアに面している県にある、カオプラビハンという遺跡の写真です。この遺跡はカンボジア領にあるものなのですが、入り口はタイ側にしかありません。入場料はタイ人が20バーツで外国人はその10倍でした。東北地方で活動している協力隊員を中心に10人くらいでいきました。

 

カオプラビハンで遺跡を見た後、今回の旅行のメインである、ろうそく祭りにいってきました。 ろうそく祭りはタイの3大祭りの一つです。 一つは灯篭流し、二つ目は水掛祭りです。 全部ロウで作られた作品たちです。ものすごい人でした。 大型トラックなどの荷台に乗せられています。仏教神話の物語の一場面を作品にしたものばかりが並んでいました。 メイン開場のとなりには、日本人やイギリス人など数カ国の外国人がそれぞれその国ならではの作品をロウで作っていました。日本人のかたは日本地図のはいったモニュメントを作っていました。 色は全部山吹色です。タイのお坊さんが着ている服の色です。

今週末から、同期隊員と先輩隊員の3人でカンボジアとベトナムへ旅行に行ってきます。また写真メールします^^

これまでみなさんが送ってくれた写真はちょこちょこと自閉症の教室の壁に貼らせてもらっています。 ではではです。