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 home > 広報 > タイ王国からの便り > 2007/12/11

タイ王国からの便り

2006年6月から2008年7月まで国際協力機構(JICA)の青年海外協力隊員としてタイで活動している佐藤綾子さんからのリポートです。


2007年12月11日

難民キャンプ訪問について

JICAの専門家の誘いにより、タイのターク県にあるミャンマーから逃げてきたカレン族の難民キャンプへ見学にいきました。

以前からセンターや近くの学校で古着を集めて難民キャンプへ送っていました。難民問題とはあまり関係のない日本にいたため、深く考えたことはありませんでしたが、タイにきて、タイにも難民問題があることを知りました。そして、今回難民キャンプを訪問させてもらい、色々なことを考えさせられました。

 

今回の見学メンバー(写真)
上の左から佐藤、協力隊、ロバート氏、JICA専門家
下の左から協力隊、専門家のお子さん、専門家のお子さん、専門家の奥さま
※ロバート氏(難民キャンプ委員会委員長。ミャンマーから逃れてきたカレン族。)

カレン族難民キャンプの背景

1984 年からカレン族がタイへ難民として入ってきました。原因は簡単に言うと、ミャンマー国カレン州におけるカレン族の自治権を求めていたカレン族に対して、政府軍が攻撃を行ったため。現在も断続的に行われています。 このため、現在タイには15万人ほどのカレン族難民がいます。まだまだタイへ難民として来たいカレン族はミャンマー側国境付近に数千人いますが、タイ政府は治安の問題、管理の問題から、これ以上の流入を認めたくありません。

また、2000年からタイ政府は難民申請を国連機関に出していません。登録書がないと国連からの食料支援の対象となりません。そして例えばアメリカなどの第3国へ移ることもできません。

難民キャンプ見学

難民キャンプには各国のボランティア団体の支援が数多く入っています。

 

また、第1日目の取り組みが終わった時、スタッフの一人が「目の不自由な人のアクティビティーは是非私がやりたい、いいだろうか」と申し出てくれました。この方から今までこんなに前向きな発言を聞いたことがなかったため、とても嬉しく感じた出来事でした。今は自閉症のアクティビティーだけ私が行い、他のところはほとんどスタッフが行っています。

 

今回難民キャンプを訪問するまえに、町中にあるNGO運営の難民のためのクリニックを見学しました。

入院患者がいる建物も見せてもらいましたが、患者が寝ているのは固い木の台に御座を敷いたもの、あるいは床、プライバシーはないという状況でした。医者はカレン族難民が一人、看護師も難民、スタッフも難民。山中には地雷もあり、地雷で足をなくす人もいるため、義足を作るボランティアも入っていますが、人手がなく、義足を作ってもらった当人が、次来た人の義足を作るそうです。

各国のボランティアが働いていますが、タイ人のボランティアはほとんどいません。タイでも都会ではボラィアがいますが、難民キャンプに近い町は、タイ人も生活に余裕がないためボランティアもいない、また難民問題に関心のあるタイ人が少ない、というのが理由です。 日本人ボランティアも一名活動中、そして訪問したちょうどその日に4名のボランティアが到着していました。何もかも用意され守られた私たちJICAボランティアとは違い、日本で働いて貯めたお金を切り崩して生活しながらの活動。頭が下がります。

 

次の日、難民キャンプへいきました。いくつかある難民キャンプのうちの一つで、町中から車で2時間山を登り、タイ軍の検問を通りキャンプへたどり着きます。ミャンマーとの国境は山。何ヶ月も山の中を逃げてタイ側へたどり着く難民もいます。

家は竹で作られており、屋根は木の葉。亜熱帯のタイにも冬があり、特にターク県がある北部は冬になると昼間でも長袖が必要で、夜はかなり寒くなります。隙間だらけの家のため、支給される毛布だけでは足りず、新聞紙を巻いて寝るのだそうです。今回訪問したキャンプには5万人ほどの難民が生活しているため、たくさんの家が密集おり、山の急斜面にも新しい家が建っていました。

水は井戸を掘って飲み水をまかなっていますが、乾季には水不足が発生します。また雨季には道路が舗装されていないため、山道は使えなくなり、支援物資をキャンプに運び込むことができなくなるため、乾季の間に支援物資をたくさん運んでおきます。

 

左の写真はキャンプ内の孤児院の子どもたち。ミャンマー政府軍に追われて逃げてくる山中で家族を殺されたり、はぐれたり、病気で亡くしたりします。

 

孤児院でお昼ご飯をいただきました。そうめんに似た麺の食べ物でした。具は本来肉や色んな種類の野菜をいれるそうですが、これはバナナの木の幹だけでした。私たちが食べ終えてから残りを子どもたちが食べていることを知り、ギリギリの食料事情に心が痛みました。山の中とはいえ、木を伐採したり、畑を作ることはタイ政府から許されていないため、支援物資に頼るしかありません。 タイは食べ物が豊富で、余るほど買ってきたり作ったりし、残ったものは捨てます。タイで一年以上タイ人と同居生活をし、自分の生活もタイ人化してきた今日この頃。おおいに反省させられました。

 

 

日本にも事務所があるボランティア団体(シャンティ)が運営している図書室。他国からもってきた絵本にカレン語の文字を貼り付けています。キャンプの中で唯一かわいいと感じた内装に気持ちがホッとしました。

難民キャンプ委員会の方にお話を伺ったところ、大きな問題の一つは若者が夢や希望をもてないこと、とおっしゃっていました。

 

20年以上続いているキャンプ。キャンプの中で生まれ育つ子どもたちもいますが、基本的にキャンプの外へでることができません。キャンプの中の仕事にも限りがあります。また、キャンプの中には学校がありますが、タイ政府から認められているものではないため、学校教育を受けたことになりません。そのため難民登録がされており、チャンスがあり第3国へ出られたとしても、高校や大学へ進むことができず、また仕事があっても厳しい労働に安い賃金、というような状況であるため、若者が将来に対する期待をもつことができません。

今までテレビや本でしか見たことのなかった難民キャンプ。自分には何ができるだろうか、と落ち込みました。実際なにもできないのですが、見てきたこと、感じたことを伝えたい、関心を持ってもらいたいと思い、レポートを書いています。